百年前に、つまり中国の清朝末期から今まで、日本に留学に来た中国人は非常に多かった。どうして日本に留学に来た人はこんなに多かったか。やっぱり理由は日本が中国より早く産業工業化したから、産業技術が先進だ。しかし、一番早く工業化した国はイギリスだ。イギリスは工業化した後、産業技術が非常に進んだった。特に軍事工業化した後、軍事強国になった。貿易市場拡大するために、アメリカ大陸で植民地をたくさん作った。それから、アメリカで自由のために独立戦争が起こった。アメリカ独立してから、イギリスから伝わった産業技術を利用してアメリカ国内で産業革命した。産業革命したアメリカも軍事強国になった。それから、アメリカもイギリスみたい、鉄砲で日本と初めて外交した。
1893年ペリーの来航してから、日本の封建時代が終わった。しかし、その時の欧米は日本を重視していなかった。イギリスはインドへの綿布輸出と中国へのアヘン輸出を重視していた。欧米諸国が中国へアヘン輸出したことは中国人民にとって、非常に大変なことだったから中国清朝末期にアヘン戦争が起こった。
しかし、その時代の日本も大変だったと思う。欧米諸国が軍事工業化したから、鉄砲とか近代化の兵器を持っていた。欧米諸国と戦争したら、勝つの可能性がとても低いと思う。そのために、アメリカやオランダやイギリスなどの欧米諸強国と不平等条約、修好通商条約した。たとえば、領事裁判権とか協定税率とか最恵国条項などの日本自身にとって不平等条約したことがあった。
強国になるために、日本で有名な明治維新した。明治維新が日本にとって、非常に意味があることではないだろか。日本が近代強国になるために、まず、日本自身の古い封建政治体制を改革する必要があるではないだろか。封建時代の将軍幕府は欧米諸強国に対してもう役に立つ軍事政策が出せない。
1864年、長州倒幕派の成立してからその後の一年間の間に倒幕派が藩の実権を握った。1868年に戊辰戦争した。薩摩軍とともに幕府軍を破った。幕府軍を破った後、幕府将軍の政権が天皇に奉還していた。その時の倒幕派の人もちろん様々な努力したと思う。たとえば、その時代の坂本龍馬の船中八策が日本近代史の中で非常に有名だ。実は、その時代の日本の近代改革運動は中国清朝末期の近代改革の状況にみたいと思う。
明治政府の成立してから1871年に廃藩置県した。全国貢租の中央集中したり政府財政の抜本的改革していた。
それから、工業化の始まって政府主導による工業化した。その後の産業状況と明治時代前の全く違った。
たとえば、第1期、1868年ー1870年。幕府経営の工業を官営にし、軍事工業を開始した。軍事工業化したから、軍事面の実力がとても強くなった。しかし、軍事強くなった後、日本が周辺の隣国に対して非常に苦しいことをした。世界各国産業工業化した後、人類の生活はもちろん良くなっていたけれども、人類には良くない面のこともあるのではないだろうか。
第2期、1870年末ー1873年。1、鉄道建設。1872年9月、新橋ー東京。1874年5月、大阪ー神戸。2、鉱山の開発。生野佐渡鉱山の官営化。3、国立銀行条例(1872年)。私立銀行ーアメリカのNational Bankの訳。
第3期、1873年末ー1880年。1、鉄と石炭の重視、三池炭坑。2、在来産業の育成。農業試験場では養蚕、製糸、製茶の試験が行われた。紡績所と製糖所の設立について、1872年に富岡製糸場という工場を作って来た。
綿紡績業、大阪紡績(1883年開業)、1万鐘規模になった。1897年、綿糸の輸出量が輸入量を上回った。
製糸業、1909年、世界最大の輸出国。成功の理由、1、国家の保護。輸出奨励金を交付し、ダンビング輸出。2、女工の長時間労働と低賃金。たぶんその時の輸出あるいは輸入についての貿易がしやすいと思う。その時代に、日本と欧米諸国だけその大量的に貿易する能力を持っているではないだろか。
日本の重工業は世界中で有名だと思う。特に、現代でも大阪に工業や化学工業など関連の会社がたくさんある。
鉄鋼業の中で、官営八幡製鉄所という会社は非常に有名だ。1901年、高炉による製鉄作業のはじまり。粗鋼生産、1910年から、日本ー25万トン、アメリカー2651万トン、イギリスー648万トン、ドイツー1370万トン生産量の数字データが出て来た。このデータから見ると、アメリカに比べると、100年以上遅れている状況が分かる。こういう形で
日本の鉄鋼業が始まった。
軍事工業は国にとって、やっぱり一番大切な所ではないだろか。特に、国の一番先進な工業技術が軍事工業の面で表していると思う。軍事工業面で国の強さが表せるとは言えると思う。どうして欧米諸国は東アジアと東南アジアでたくさんの植民地が作れるか。やっぱりこの問題の答えは軍事が強い。日本は欧米諸国のように強国になるために、軍事工業面で努力しょなければならないと思う。
日露戦争が終わった後、1907年までに主要兵器とその素材の多くは国産化、軍艦の海外発注は1911年まで。この状況から見ると、日本の軍事工業技術もう非常に進んできたではないだろか。第二次世界戦争終わった後、日本はアメリカからの軍事技術支援をもらったことも事実だ。この面についてのことは中国がロシアの兵器を買って来てロシアと軍事交流することとみたいと思う。しかし、今でも、日本の軍事工業技術が中国のより進んでいると思う。
日本の近代史の中で政商から財閥へ変化したことは大切な歴史の一部だ。
政商と言う人は特定の官僚を結びつき、入手した利益を経営に再投下して大きいな利益を手に入れる人だ。特定の官僚の権利を利用することはポイントではないだろか。実は、中国の歴史の中で政商という人もたくさんいた。日本の財閥も世界中で非常に有名で、一番有名な財閥は三大総合財閥の三井と三菱と住友だ。
三井は両替店と呉服店から大規模な会社になって来た。日本の近代史上で維新政権を
支えた役割を果たした。1876年に三井物産と三井銀行を設立した。
三菱の創始者は岩崎弥太郎だ(1834年ー1885年)。海軍業者として出発して事業をして来た。1874年の台湾出兵と1877年の西南戦争二つの事件を利用して大きな利益を手に入れた。その後、鉱山や造船や銀行や地所建物などの事業を作って来た。三菱は特に重工業面で有名だと思う。三菱は日本近代軍事工業の発展に良い影響力を与えたけれども、その反対の面で日本軍国主義者に利用されてアジア各国に戦争の苦痛をあげたことも事実ではないだろか。
住友は別子銅山をもとに発展して来た。1875年に金融業を大阪本店ではじめた。1895年に住友銀行を設立した。日露戦争後は住友の金属工業は海軍鉄道院と結びついた。
以上の内容から見ると、この三大財閥の共通点は近代の日本政府と深い付き合いがあったことだと思う。やっぱり、政府の権力がなくなったら、こういう大規模の財閥になるわけがないと思う。そして、日本近代の上で戦争を利用して工業規模を発展するチャンスも大切だ。こう考えると、財閥という団体はやっぱり特定な時代の産物ではないだろか。第二次世界戦争終わった後、三大財閥がアメリカに分解されたけれとも、日本に与えたすごい影響力も無視できないと思う。
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